愛知県立大学教授 稲村哲也
緊急発掘の開始
ラス・シクラス遺跡
シクラ
今からおよそ5千年前に遡るアメリカ大陸最古級の「神殿」と思われる「ラス・シクラス遺跡」がチャンカイ河谷で見つかったことが、6月20日付朝日新聞朝刊の1面と2面にカラー写真と共に大きく報道された。チャンカイ河谷(リマから北に約100km)は生前の天野芳太郎氏が通いつめ、生涯をその遺物の研究・保存・紹介に捧げた「チャンカイ文明」(紀元後千年ごろの文明)揺籃の地である。
「発見」が確信となったとき、天野芳太郎の「啓示のごとき遺志」を感じた阪根博氏は、興奮して語った。「爺さんと何度も何度も通ったチャンカイ文明の遺跡群の直ぐ下に、こんな遺跡が眠っていたとは。これは、チャンカイを敬い愛し続けた爺さんからのみんなへの贈り物だ。これはなんとしても天野博物館で発掘をやりたい。そして、泉靖一先生以来ペルーの古代文明の解明に尽くしてきた日本人研究者の手をお借りしたい。」
さっそく、阪根氏は、天野博物館で長年研究員として活動してきたワルテル・トソ氏を責任者として発掘調査団を組織し、6月19日から7月上旬にかけて同遺跡の緊急発掘を実施した。私も「ラス・シクラス遺跡」には当初からかかわってきたため、急遽6月26日から1週間だけ現地に出かけ、同時に日本からペルーに戻った阪根博氏と天野万里夫氏と共に発掘調査団に合流した。
「ラス・シクラス遺跡」は南北に連なる2つの小山という感じの、南北50m、東西30m、高さ10mほどの連結したマウンドである。
ラス・シクラス遺跡全景
北マウンド西側側トレンチ
トレンチの中に数本の丸太が見える
マウンドの上や西側にチャンカイ文明の建造物の石積みの壁が露出している。発掘では、北のマウンドの西側面と南のマウンドの南側面に、幅mで長さがそれぞれ15m、20mのトレンチを掘った。
その結果、それぞれのトレンチから表面が成形された5、6段の石積みの壁が出て、それらの壁の内側から大量のシクラが出土した。
北のマウンドの頂上部に4m角で深さ8mもの盗掘坑が開けられているが、その穴は盗掘者たちがちょうど部屋の内側を堀り進んだもので、四方に壁面があり、その一部はきれいに上塗りが施されている。
北側の壁面には高さ1mほどの窓があり、南側には別の部屋に通じる通路の開口部がある。壁面の構成は複雑で、少なくとも5、6回の増築・改築の跡が見られる。いわゆる「神殿更新」の痕跡である。この盗掘坑の内壁は崩落の恐れが大きいため、下部3mほどを埋め戻し、壁の一部に補強をした。さらに盗掘坑の上は植物性のマットで覆って保護した。
北マウンド頂部のその盗掘坑の南隣に2×4mのトレンチを入れると、数10cm下から、一面にシクラがでて、数本の丸太も出てきた。そこはちょっとふわふわしており、その下にある部屋の天井ではないかとも考えられる。
以上のように、明らかに先土器時代の数段の基壇がピラミッド型に重なったような構造が現れており、基本的に、カラルと同時期の大規模な公共建造物(おそらく神殿)であることは間違いないと思われる。出土品としても、夥しい量のシクラ、数10点の布などが出たほか、かわいらしい土偶の頭が出土した。重層構造をもった複雑な遺跡の形態、建造物の特徴や機能などは、今後の発掘をまたなければならない。
発掘費用の問題のほかいくつかの事情により、本格的な発掘は10月以降に再開される予定である。
5千年の眠りからの目覚めシクラと地震
夥しい量のシクラ
かわいらしい土偶の頭
数年前から、私たち―阪根博氏、藤澤正視氏(筑波技術大学)、鳥居恵美子氏(元天野博物館学芸員)と私―は、天野博物館を拠点として
NPO
活動を始めていた。孤児院への医療器具支援や、藤澤氏の専門の耐震工学を活かした歴史的建造物の修復支援や自然災害軽減支援、私がアンデス高地のリャメーロ(リャマ飼い)の調査で長年世話になったアレキーパ県のプイカ村の(突風で飛ばされた)学校の再建のために、大使館に「草の根援助資金」を要請するなどの活動をしてきた。さらに、NPO活動の一貫として、チャンカイ谷にあるチャンカイ文明最大の遺跡「ピスキージョ・チコ遺跡」(数km四方にわたる広大な遺跡群)が、盗掘と耕地の侵食にさらされ続け、壊滅の危機にあることを憂慮し、ワルテル・トソ氏やワラル市長と共に、遺跡公園のような形で、その保全、調査、修復が出来ないかを、検討してきた。
「ラス・シクラス遺跡」は、その「ピスキージョ・チコ遺跡」に入る手前に位置している。阪根氏によると、「小山の上にチャンカイの壁が少し残っていて、下が形成期遺跡らしいことはわかっていたが、誰も顧みない遺跡だった。いつもその横を通っていたけれど、『じゃまな山だな』くらいに思っていた」。「ところが数年前に誰かが頂上に穴を掘った。盗掘者たちはだいぶ深く堀進んだが、何も出てこなかったから、そのまま放置しちゃった。何も出ないよな、なにしろ無土器時代の遺跡だったんだから」。
昨年の8月、私は阪根氏に案内されてカラル遺跡を見学した。カラルはチャンカイ谷から約150km北のスペ河谷に位置する。紀元前3000年近くに遡るー大遺跡群として注目を集め、10年ほど前からルス・シャディ女史の下に発掘が進められている。それまでのアンデス考古学では、大規模神殿の建造は紀元前1800年くらいとされていたものが、一挙に千年以上も遡り、定説を覆す「大発見」となった遺跡である。ただし、そのような高度な文明が一つの河谷だけにある時期に突如出現し、また消滅したことが謎とされてきた。
この見学で、私は「シクラ」を初めて見た。葦やトトラ(チチカカ湖や海岸に生える水草でいわゆる「アシ舟」の材料であるが、葦とは異なる植物)を結んで粗いネットの袋にしたもので、石を詰めて建築材にしている。
カラル独特のものである。そのとき阪根氏が言った。「これチャンカイにもある。古かったら大変なことだぞ」。
私とほぼ入れ違いに藤澤氏がペルー入りし、カラル遺跡の写真を見ると、阪根氏に言った。「シクラは耐震工法の一種ですよ。カラルに行って本物をぜひ見たい。」「カラルに行かなくても、チャンカイでも見られるよ。」
数日後、藤澤氏と阪根氏は、チャンカイの「ひょうたん山」(そのときはまだ名前がついていなかった)に行った。盗掘坑の壁面には確かにシクラの断片が詰まっていた。 今年3月、阪根氏と藤澤氏は、ワルテル・トソ氏に依頼して、盗掘坑内の壁面の保全と表面調査を実施した。カラル遺跡発掘責任者のルス・シャディ女史も視察に訪れ、強い関心を持った。
そこで、シクラの断片6点と木炭片2点の持ち出し許可を得、日本で放射性炭素年代測定にかけたところ、いずれも約4850〜4100年前のものと確認されたのである。カラル遺跡と同時代であることが確定し、チャンカイのじゃまくさいだけだった「ひょうたん山」は一躍「アメリカ大陸最古の神殿の一つ」となった。わたしたちは、天野博物館が組織するプロジェクトによって研究を実施することの意義を共有した。そして、発掘の優先権を得るためにも、まずは「ラス・シクラス遺跡」と名づけてペルー政府からの発掘許可を得て、緊急の発掘に着手することになった。
ラス・シクラス遺跡の学術的な価値
建造物が残されているピスキージョ遺跡の一部
盗掘坑(2005.08)
「ラス・シクラス遺跡」が、カラルと同時代の遺跡として「再発見」されたことで、紀元前3千年紀の「アメリカ大陸最古の文明」が、一定の広がりをもった文明圏であったことが、発掘調査により間もなく明らかになるだろう。東大アンデス考古学調査団を長らく率いてこられた大貫良夫・東大名誉教授(野外民族博物館リトルワールド館長)と、東大調査団を引きついでアンデスでの発掘調査をリードしておられる加藤泰建・埼玉大教授も、ラス・シクラス遺跡の重要性をおおいに評価し、今後の発掘調査にアドバイザーとして協力していただけることになった。
加藤氏は「組織的な労働力を用いた建築物であることは間違いなく、カラル遺跡と共通性が多い。チャンカイでの発掘により、ペルーの海岸部で広い範囲に都市的な発展があったことが、裏付けられるかもしれない。東大調査団が発掘してきたコトシュ遺跡との関連性も興味深い。アンデスにおける文明形成過程を見直すきっかけとして発掘を進める意義は大きい」と言う。
緊急発掘の写真をご覧になった大貫先生からも、メールで次のような見解を送っていただいた。「見たところ大きなマウンドのようで、もしかすると全部が当時の先土器時代の建築かもしれない。しかし発掘は大変だ。一番上の層が形成期で蓋をされたようになっているらしい。どの壁が形成期なのかはっきりさせ、形成期を処理し、最下段の土留め壁を見つけてそれを追いかけて、基壇の大きさや形も明らかにしないといけない。まだまだ時間はかかるね。土偶は確かに先土器時代のものだね。先が楽しみ。」
天野博物館チャンカイ・プロジェクト・
「遺跡公園」と「天野博物館チャンカイ分館」も
ピスキージョ遺跡の端を耕地化する農民
壊滅の危機に瀕する広大なピスキージョ遺跡
後の時代のアンデスの遺跡でも、地震を明確に認識していたふしが見られる。たとえば、多角形の石を精巧に組み上げたインカの石積みも、構造学的には振動を吸収する耐震構造であり、台形の壁や窓の構造も耐震性に優れている点を、藤澤氏は専門的な見地から指摘する。シクラも耐震性に優れた柔構造の建築材として、現在でも同様のものが使われているという。アンデスは、大陸プレートの端に「ナスカ・プレート」という海洋プレートが沈み込むことによって形成された山脈であり、日本と同様の地震頻発地域である。古代の人々が地震を意識して、その対策を考え出したとしても不思議ではない。
地震は、現在では自然現象として理解し、科学的な対策が講じられるが、古代人は地震に対して底知れぬ恐れを抱いたに違いない。乾燥したペルーの海岸地方に突然大雨をもたらす「エル・ニーニョ現象」が海岸地方の古代文明の崩壊の原因になったことが、考古学で議論されているが、地震が文明の崩壊の要因となったことがあったかも知れない。いやむしろ、地震がまさに「超自然的力」の発現として「宗教」を生み出す要因となり、人びとの力を結集させる「組織」を生む要因のひとつとなったかもしれない。「超自然的力」をコントロールすることを求められる政治宗教的なリーダーは、定期的にやってくる地震に耐える公共建造物を作る必要があったのではなかろうか‥‥耐震工学の専門家との出会いから、いろいろな仮説が湧き出てくる。
今後は、考古学的発掘調査をコアとしながら、耐震工学、建築学、地震学、地理学などの専門家との共同による「地震と文明の研究」、また一方で、発掘調査と連携して文化人類学、動物考古学、植物学、遺伝学、気象学などの専門家を加えた「総合的な環境と文明の研究」を目指した学際的な調査団を結成して、現地調査を重ねたいものである。個人的には、これまで研究してきたラクダ科動物の家畜化の問題などを検討してみたい。
「ラス・シクラス遺跡」以外にも同時代の遺跡が周辺で見つかる可能性も大きい。また、当初の目的であった「チャンカイ文明遺跡の保全」もぜひ実現したいものである。
ラス・シクラス遺跡は、考古学の蓄積の上に地震工学の専門家が関与したことで「再発見」されたと言ってもいい。多様な視線が親しく交錯するところに「発見」が生じる。それは専門家だけの特権ではない。ラス・シクラス遺跡をめぐる学際的な研究とピスキージョ遺跡の保全活動を含めたものとして、多分野の専門家とアンデス愛好家が幅広く参加する「天野博物館チャンカイ・プロジェクト」を提起したい。天野博物館を支えてきた「天野博物館友の会」を中心として、多くの方々に参画していただきたい。
大貫先生たちが、クントゥル・ワシ遺跡の近くに地元博物館を開設したように、ピスキージョとラス・シクラス遺跡の近くに「天野博物館チャンカイ分館」を設立したいものである。広大な「ピスキージョ遺跡公園」を一周したあと、「ラス・シクラス遺跡」を眺めながら、「チャンカイ分館」のサロンで天野芳太郎氏がこよなく愛したピスコを飲みながら語りあえたら最高だろう。
「チャンカイ・プロジェクト」が、アカデミズムの枠を超えた自由な研究・文化サロンとして育っていけばいいなと思う。そうなれば、天野芳太郎翁も喜んでくれるだろう
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